宝塚歌劇団 花組「金色の砂漠」感想

宝塚

こんにちは、ゆん です。

突然ですが、わたしは数え切れないほどある宝塚の作品の中で「金色の砂漠」がかなり好きです。

副題で「トラジェディ・アラベスク」と銘打ってある時点で、悲劇であることは決まっています。そして、悲劇だと主人公たちに思い入れが深くなる分「どうしてそうなってしまったの」「こうなればもっと幸せだったのに・・・」と思ってしまうのです。それゆえ、つらつら語っております。どうぞ一個人の感想と読み流してくださいませ。

ファンになったのは最近なので、古い作品はアマゾンプライムビデオや、知り合いにDVDを借りてみています。ちなみに、アマゾンプライムビデオは「レンタル期間30日間、一度視聴を始めたら7日間でレンタル終了」という結構厳しい制約です。また観られる公演も当然限られており、金色の砂漠は東京の千秋楽(2017年2月5日)を視聴することができます。550円。ツタヤに比べれば高いけど、1本もののベルばらや1789などよりは安いですね(別に借りてみた作品です)。そのうちDVDを買った方が安くなるかも・・・・・(いつか買うかもしれません)

千秋楽から3年が経過しているので、ネタバレや結末もたくさん含みますがご容赦ください。

作品全体を通して、明日海さんの役作り

ヒロインが王女さまである時点で、主人公はそれなりの身分であることは想像がつくのですが、明日海さんが演じるギィが王子様然としたシーンは最後を除きほぼありません。ほぼ全編を通じて奴隷または盗賊の格好をしていますし、誇り高さを垣間見せるシーン(幼少期)はあるものの最後までびっくりするほど成り上がり感が抜けないというか・・・あれだけ軍服や王子様が似合う明日海さんだからこそ、逆に役が作り込まれていてとても素敵。

もう一つ明日海さんのことになりますが、今回の魅力としてやはり「眉根を寄せた満たされない表情」が挙げられることと思います。これは花乃さんも同じ。好きだけどそれを認められない、といつも何かを我慢しているような苦しさをにじませている表情が深く印象に残ります。途中もはや自分の中でも何が正しくて、何を自分が望んでいるのかわからないような、理性だけでなく感情の海に溺れている演技がとても心にずしんときました。

オープニング

オープニングの「金色の砂漠」をiTunesで購入するほどあの曲が好きです。

これは明日海さんのソロで、途中芹香さん、瀬戸さん、柚香さん、鳳月さんのダンスが入ります。iTunesの音源は大劇場での録音なのでプライムの映像と撮影日は違いますが、微妙に歌い方が異なるのもおもしろい。

この場面では、それぞれの登場人物の紹介と、砂漠のしきたりの紹介が行われます。鳳月さん演じるジャハンギール王の、正真正銘の王様の存在感と、柚香さんのいいところの王子様感が眩しい。ダンオリも大好評だったようですが、花組次回作にも期待がかかりますね。キラキラしてるんだろうなあ〜!ここでは壇上は身分が高い人たち、下は身分が低い人たちとはっきり分かれているのが意味深です。

柚香さんが演じるテオドロス様は、ただ世間知らずの末っ子おぼっちゃまではなく、物語にまだ引き込まれていない観客の「もっともな」気持ちを代弁してくれます。それはまるで、自分は洗練された都会の王子、砂漠の国なんてと見下しているようにも取れます(「いかにも砂漠の国らしい風習」といったセリフなど)。

「特別な奴隷(王族の子が生まれたら異性の奴隷をつけて守らせるしきたり)」も理性的に考えればはちゃめちゃな制度なので「それはおかしい」と声を上げるのです。最も、わたしのような(ちょろい)観客は、物語の雰囲気に圧倒されて「それもそうだよね」という気持ちになってしまうので、テオドロスのセリフでハッとなるのですが。

鍵となる幼少時代

舞台が変わる直前に、芹香さんが演じるジャーが話す「みんなもう、いなくなってしまいましたから」というセリフにより、物語の全てが回想であること、もう終わってしまった過去のことだということを暗に感じさせます。

花乃さん演じるタルハーミネ様が砂漠でギィに引っ叩かれ、一瞬驚いたあと泣き出すシーンがありますが、あれは眉を切った痛みで泣いているのか、それとも奴隷に殴られたから単純に悔しくて泣いているのか。それだけではないような気がします。本当はそれが危なくて間違っていることはわかっているけれど、制止を振り切って「金色の砂漠を見にいきたい」という思いで飛び出したのにギィによって引き戻され、「やはり母とわかり合うのは無理なのか」と哀しむような泣き方に見えました。母を早くに亡くしたタルハーミネ様にとって、唯一アムダリヤ様と繋がれる話題が金色の砂漠だったのに。ここでは、タルハーミネはまだ子どもであり、母の愛を求める少女のように見えます。

一方、その晩ピピがギィに諭す、「女というものはだんだんきれいになるものだからな」というセリフとギィがピピの膝に突っ伏す演技で、単に納得いかないと怒るギィのなかで、タルハーミネというものが徐々に変化しつつあることが段々示されていて、なんとも言えない気持ちになりました。

この後は、シーンというより登場人物ごとに綴ります。

ビルマーヤ様とジャー、ゴラーズさん

トップコンビのねじれた素直になれない関係性と対比されるのがこの二人。桜咲さん演じるビルマーヤ様はとにかく心優しくて素直。ジャー、ゴラーズさんも優しさが強調されています。そういったところが惹かれたんでしょうね。

その前で、ギィがタルハーミネ様に「わたしのこと好きだっていったの」と問われ、答えないシーンがあるのですが、ジャーはビルマーヤ様にさらっと「あなたのことが好きです」と話します。

また、ギィ(イスファンディヤール)が城を飛び出したあと、ジャーは一人残りビルマーヤ様と気持ちを確認し合い、「ジャーとビルマーヤの歌」を歌います。ビルマーヤ様はもう人妻ですから、ジャーのものにはなりません。だからこれももう戻らない、どうにもならない無念で悲しいシーン。最後に「もうこれは思い出さないようにしましょう」「あなたを愛しています」がとってもつらいです・・・

ジャハンギール様とアムダリヤ様

「18年前、あなたと僕たちは死ぬべきだった」

トラジェディの原因をつくったのがこの二人なので、ギィがそう話すのももっとものような気がします。

ギィを逃すシーンで、アムダリヤ様は最初「奴隷に情けをかけてやる」と言った態度です。と言うより、何もおっしゃらない。でも、ギィが「なぜ自分なんかに」と騒ぐので、心の扉がこじ開けられ「イスファンディヤール」と声をかけます。いつも気持ちを抑え、口をつぐむアムダリヤ様が気持ちをあらわにする貴重なシーンです。

彼女が口をつぐんだのは、最後にイスファンディヤールが悟るように「全てを知っていた方」だったから。自分がやってしまった選択は変えられない。だからせめて、これ以上かき回さないようにしようというような。この方も何かを我慢しています。最期もピピに語らせて、砂漠を歩かせることで間接的に亡くなったことを示す手法をとっており、「語らない」アムダリヤ様に象徴的なシーンです。

一方、ジャハンギール様も「余計な駆け引きが大嫌い、砂漠の武人だ」と形容されていますが、この方も無駄なことは「語らない」方なのが印象的です。

果たして、ジャハンギール様とアムダリヤ様が心の底から笑い合って、腹を割って話し合ったことがあっただろうかと思います。そうあって欲しいのですが・・・来世があるなら幸せになって欲しいと願わずにいられません。

「セリフを話す」ことの意味

この物語では、「言葉を発する」ことの重要性を感じさせる場面が多い。

開始30分すぎ、ギィがタルハーミネ様に愛の告白をする場面。素直になれないギィはまず「わたしに暇を出して欲しい」と(思ってもいないことを)タルハーミネ様にお願いします。そんなことを言っちゃうからタルハーミネ様も「それはしきたりだから」だめと告げます。互いが互いに素直になれず、そんな相手に負けたくないと強情をはっているようなやりとり。

ギィがタルハーミネ様に「あなたはいつも、そうやって震えている」と語りかけるシーン。あの時のちょっと顎を突き出したような、見下ろすような仕草が印象的です。そう言いながら、ギィも震えている。二人とも強情なので、自らの表情に気づかず声を張り上げますが、話せば話すほど、畳み掛ければ畳み掛けるほど、相手ではなく自分自身を追い詰める。そして苦しいから、素直になれなくてさらに声を張り上げる・・・

逆に、王女の寝室のシーンで、言葉を発するのをやめた瞬間に気持ちが堰を切ったように溢れ出すのがかえって印象的。話さないと、こうももどかしい関係性の糸が解れるのかと。

そのほかに、組長演じるナルギス先生も、復讐のチャンスとばかり声高に雄弁になったばかりに殺されます。

もう一つ、言葉の使い方で王国の運命を決定づけたのがテオドロス様。翌朝、王家の誇りを害したと成敗されそうになるタルハーミネ様に対し、わざと早口で、それもわかりやすく畳みかけます。そうやって一言一言タルハーミネ様を煽り、ギィの死刑命令を出させます。

これをいったら物語にならないのはわかっているのですが、王国の尊厳と存続を第一に考えるならば、タルハーミネ様はあの場で成敗されるべきだったとも思うんですよね。どのみちギィは死刑になったでしょうしアムダリヤ様に救われたかもしれない。でもタルハーミネがいない中で果たして王国を取り戻そうとするでしょうか?

テオドロス様の立場から考えると、タルハーミネ様を生かして権力を握ろうとしたというのもわかるけれど・・・まさに復讐の連鎖をつくってしまったというのが重いです・・・

改めて、よく考えればこれだけ言葉の重さを感じさせるのは語らないシーンの作り込みが半端でないということ。主人公はもちろん、花組全員が表情、手足の動き、動くタイミングなどを細かく細かく研究したからこそ、セリフが引き立つんですよね・・・このような作品に出会えたことが、幸せでたまりません。そして、他の作品もじっくり何度も観なおして、味わわなければ。せっかく出会えたのだから。

長くなってしまったので、続きはまた別日に綴りたいと思います。

別日というか、翌日に書いた続編はこちら↓

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